2024年03月06日
発達障害のしんどいところ 自責の沼
発達障害のしんどいところとして、
「軽い言葉が自己否定されているように聞こえる」があります。
例えば「ドアを閉めるとき、もう少し優しくしめるようにして」
と相手が軽い注意をした時でも、発達障碍者にとっては死刑宣告のように
聞こえるのです。
長年の自己肯定感の低さからくるものでしょうか。
まるでお前は人間失格だ、と激しく咎められているように感じてしまうのです。
そしてグルグルと自分を責める負の感情のスパイラルに陥っていきます。
「皆に迷惑をかけていたんだ」
「注意した人は自分を憎く思っていたんだ」
「その場の人皆が自分を嫌っているに違いない」
などなど。負の感情が次から次に湧き上がってきます。
自分を責める言葉がいくらでも湧いてくるのです。
それはその場を後にして、眠る前、眠っている時も続きます。
そして目覚める時、最悪の重い気分で「死にたい。消えたい」と負の感情に
飲まれてしまうのです。そうなってしまうと落ち込むのは気分だけではありません。
体が異常に重く感じられ、起き上がることすら辛い状態になってしまうのです。
そして後日自責の念から相手に詫びるのですが・・。
些細な注意として相手は覚えていない、逆に困惑されるということが多々あります。
このような出来事が重なると、相手を疲れさせます、関わりたくない面倒な人間と認定されます。
これもまた相手を疲弊させるカサンドラの一つの形なのです。
「軽い言葉が自己否定されているように聞こえる」があります。
例えば「ドアを閉めるとき、もう少し優しくしめるようにして」
と相手が軽い注意をした時でも、発達障碍者にとっては死刑宣告のように
聞こえるのです。
長年の自己肯定感の低さからくるものでしょうか。
まるでお前は人間失格だ、と激しく咎められているように感じてしまうのです。
そしてグルグルと自分を責める負の感情のスパイラルに陥っていきます。
「皆に迷惑をかけていたんだ」
「注意した人は自分を憎く思っていたんだ」
「その場の人皆が自分を嫌っているに違いない」
などなど。負の感情が次から次に湧き上がってきます。
自分を責める言葉がいくらでも湧いてくるのです。
それはその場を後にして、眠る前、眠っている時も続きます。
そして目覚める時、最悪の重い気分で「死にたい。消えたい」と負の感情に
飲まれてしまうのです。そうなってしまうと落ち込むのは気分だけではありません。
体が異常に重く感じられ、起き上がることすら辛い状態になってしまうのです。
そして後日自責の念から相手に詫びるのですが・・。
些細な注意として相手は覚えていない、逆に困惑されるということが多々あります。
このような出来事が重なると、相手を疲れさせます、関わりたくない面倒な人間と認定されます。
これもまた相手を疲弊させるカサンドラの一つの形なのです。
ponkoturobota at 12:11│Comments(0)