2024年02月
2024年02月28日
発達障害と仕事
仕事。これが発達障害にとって一番の難題かもしれません。
発達障碍者の特性は一般的な仕事をする上でマイナスにしかなりません。
(特殊な才能があって社会に受けいれられている方は除きます)
コミュニケーションの取れなさ、拘りの強さや感覚の鈍さ、視覚や聴覚などの鋭敏さ、
動作のぎこちなさ、物忘れ、臨機応変な対応が出来ない、疲れやすさ、異質な存在感、
周囲をイラつかせる、マルチタスクが苦手、衝動的な行動や言動など。
どのような仕事でもコミュニケーションが苦手なのは致命的です。
出来る仕事はかなり限られているといって良いと思います。
条件を抜き出すなら、
・規則やマニュアルのある仕事
・拘りや専門性を生かせる専門職
・臨機応変な対応を求められない仕事(ルーティンワークなど)
・人とのコミュニケーションが少ない仕事(倉庫作業、職人など)
・視覚情報がメインの仕事。(メールでのサポート業務など)
となるでしょうか。
専門職以外は職種が限られていると言わざるを得ません。
それでも一般的な仕事では人間関係が避けて通れません。
仮に理想に近い環境の職に就けたとしても、人間関係の躓きで
職を転々とする発達障碍者は珍しくありません。
職場での孤立。特性ゆえの失敗続きで上司や同僚から見放され、居たたまれず
職場を去ることが多いようです。
先のエントリーで書いた叔父の場合、新卒時こそ大手企業に入りましたが、
人間関係で躓いてドロップアウトして以来、人を避けるような仕事を選んで
働いてきました。工場勤務や警備員、タクシー運転手等が主だったようです。
しかしなまじ大学を出ていたばかりに2.3年務めると昇進の話が
持ち上がり、昇進を避ける=管理職になることを避けるために職を転々としていました。
叔父は最終的には酒に溺れて亡くなってしまいました。
同居していた祖母(叔父にとって母親)が亡くなって以来、社会から孤立していき、
自暴自棄になった叔父は仕事もやめ、酒に溺れた末に体を壊してなくなったのです。
(発達障碍者の最後はこのような亡くなり方が多いようです)
話が脱線しました。
話を戻すと、発達障碍者は下流職が主な故に給料に関しても諦めが必要となります。
それでも働けている障碍者はまだマシと言っても良いのが実情です
発達障碍者の特性は一般的な仕事をする上でマイナスにしかなりません。
(特殊な才能があって社会に受けいれられている方は除きます)
コミュニケーションの取れなさ、拘りの強さや感覚の鈍さ、視覚や聴覚などの鋭敏さ、
動作のぎこちなさ、物忘れ、臨機応変な対応が出来ない、疲れやすさ、異質な存在感、
周囲をイラつかせる、マルチタスクが苦手、衝動的な行動や言動など。
どのような仕事でもコミュニケーションが苦手なのは致命的です。
出来る仕事はかなり限られているといって良いと思います。
条件を抜き出すなら、
・規則やマニュアルのある仕事
・拘りや専門性を生かせる専門職
・臨機応変な対応を求められない仕事(ルーティンワークなど)
・人とのコミュニケーションが少ない仕事(倉庫作業、職人など)
・視覚情報がメインの仕事。(メールでのサポート業務など)
となるでしょうか。
専門職以外は職種が限られていると言わざるを得ません。
それでも一般的な仕事では人間関係が避けて通れません。
仮に理想に近い環境の職に就けたとしても、人間関係の躓きで
職を転々とする発達障碍者は珍しくありません。
職場での孤立。特性ゆえの失敗続きで上司や同僚から見放され、居たたまれず
職場を去ることが多いようです。
先のエントリーで書いた叔父の場合、新卒時こそ大手企業に入りましたが、
人間関係で躓いてドロップアウトして以来、人を避けるような仕事を選んで
働いてきました。工場勤務や警備員、タクシー運転手等が主だったようです。
しかしなまじ大学を出ていたばかりに2.3年務めると昇進の話が
持ち上がり、昇進を避ける=管理職になることを避けるために職を転々としていました。
叔父は最終的には酒に溺れて亡くなってしまいました。
同居していた祖母(叔父にとって母親)が亡くなって以来、社会から孤立していき、
自暴自棄になった叔父は仕事もやめ、酒に溺れた末に体を壊してなくなったのです。
(発達障碍者の最後はこのような亡くなり方が多いようです)
話が脱線しました。
話を戻すと、発達障碍者は下流職が主な故に給料に関しても諦めが必要となります。
それでも働けている障碍者はまだマシと言っても良いのが実情です
ponkoturobota at 11:08|Permalink│Comments(0)
2024年02月21日
発達障害者は子供を作るべきかいなか?
発達障害者の人生は地獄です。
生涯に渡ってついて回る孤独、虐め、そして二次障害の苦しみ。
発達障害が遺伝してしまい、自分の味わってきた地獄のような苦しみ、
今もなお続いている苦しみを次世代に伝えるのは罪とさえ感じます。
遺伝しないという可能性はあるかもしれません。
その場合、発達障碍者に育てられた子供は幸せか?といえば、
幸せではないと答えるほかありません。
発達障害は人の気持ちが理解できない、疎い障害です。
言い換えれば無意識の内に周囲にモラハラを繰り返してしまう障害ともいえるのです。
人の気持ちの理解できない親に育てられた子供が幸せになれるか?
幸せになれないとは言い切れません。しかし、ネグレクトゆえに幸せになれない
可能性の方が遥かに高いと感じられます。
仮にその子本人が幸せになれたとしても、その次の世代、さらに次の世代が重荷を背負って
生まれてくる可能性が非常に高いのです。それは呪いに近いと感じられます。
あくまで私個人の意見としては
発達障害者は子供を作るべきではないと思います。
発達障碍者の地獄は本人だけで終わりません。
家族や親せき、周囲の人々を巻き込むタイプの地獄なのです。
そのような地獄は根絶すべき。不幸の芽は減らすべき、
というのが私の考えです。
生涯に渡ってついて回る孤独、虐め、そして二次障害の苦しみ。
発達障害が遺伝してしまい、自分の味わってきた地獄のような苦しみ、
今もなお続いている苦しみを次世代に伝えるのは罪とさえ感じます。
遺伝しないという可能性はあるかもしれません。
その場合、発達障碍者に育てられた子供は幸せか?といえば、
幸せではないと答えるほかありません。
発達障害は人の気持ちが理解できない、疎い障害です。
言い換えれば無意識の内に周囲にモラハラを繰り返してしまう障害ともいえるのです。
人の気持ちの理解できない親に育てられた子供が幸せになれるか?
幸せになれないとは言い切れません。しかし、ネグレクトゆえに幸せになれない
可能性の方が遥かに高いと感じられます。
仮にその子本人が幸せになれたとしても、その次の世代、さらに次の世代が重荷を背負って
生まれてくる可能性が非常に高いのです。それは呪いに近いと感じられます。
あくまで私個人の意見としては
発達障害者は子供を作るべきではないと思います。
発達障碍者の地獄は本人だけで終わりません。
家族や親せき、周囲の人々を巻き込むタイプの地獄なのです。
そのような地獄は根絶すべき。不幸の芽は減らすべき、
というのが私の考えです。
ponkoturobota at 20:49|Permalink│Comments(0)
2024年02月15日
発達障害者と結婚について
発達障害は周囲を巻き込む障害です。
夫か妻、一方が発達障害。
夫と妻、双方が発達障害の場合。
どちらも互いと周囲に害を与えます。
カサンドラ症候群という疾患があります。
発達障害者の周囲の人間、健常な妻や夫、親や子、兄弟、親せき、上司や部下などが
発達障害者に振り回され、心無い言動や態度など、ストレスを受け続けることで
精神的、肉体的に病んでしまう状態のことを言います。
そして発達障害者本人は害を与えていることにまったく気づいていないのです。
もっとも問題なのはカサンドラ症候群が理解されず、孤立し、さらに病んでしまうという
負のスパイラルに陥ることが言えると思います。
仕事上のコミュニケーションは問題なくとも、家庭など、社会性の必要が迫られない場では
発達障害の特性が強く出て相手を傷つけてしまう。または上司と部下などの関係において
モラハラやパワハラとして特性が出てしまうなど、表層的には分からない場合も多いのです。
さらに厄介なのは、真面目で面倒見が良い性格。
相手に寄り添おうとする人ほど発症しやすい傾向があるということです。
主な症状としては、
片頭痛やめまい、自律神経失調症、抑うつ症状や不安障害が挙げられます。
もし、発達障害者と付き合うのなら、
相手の特性を理解し、寄り添いすぎず適切な心の距離、物理的な距離を保つ。
モラハラやパワハラを上手に受け流す。
となります。この条件だけ見ても生活を共にするのは難しいと感じざるを得ません。
ここまで自分を犠牲にしてまで発達障害者と付き合うべきなのか。
私にはその必要があるとは思えません。
夫か妻、一方が発達障害。
夫と妻、双方が発達障害の場合。
どちらも互いと周囲に害を与えます。
カサンドラ症候群という疾患があります。
発達障害者の周囲の人間、健常な妻や夫、親や子、兄弟、親せき、上司や部下などが
発達障害者に振り回され、心無い言動や態度など、ストレスを受け続けることで
精神的、肉体的に病んでしまう状態のことを言います。
そして発達障害者本人は害を与えていることにまったく気づいていないのです。
もっとも問題なのはカサンドラ症候群が理解されず、孤立し、さらに病んでしまうという
負のスパイラルに陥ることが言えると思います。
仕事上のコミュニケーションは問題なくとも、家庭など、社会性の必要が迫られない場では
発達障害の特性が強く出て相手を傷つけてしまう。または上司と部下などの関係において
モラハラやパワハラとして特性が出てしまうなど、表層的には分からない場合も多いのです。
さらに厄介なのは、真面目で面倒見が良い性格。
相手に寄り添おうとする人ほど発症しやすい傾向があるということです。
主な症状としては、
片頭痛やめまい、自律神経失調症、抑うつ症状や不安障害が挙げられます。
もし、発達障害者と付き合うのなら、
相手の特性を理解し、寄り添いすぎず適切な心の距離、物理的な距離を保つ。
モラハラやパワハラを上手に受け流す。
となります。この条件だけ見ても生活を共にするのは難しいと感じざるを得ません。
ここまで自分を犠牲にしてまで発達障害者と付き合うべきなのか。
私にはその必要があるとは思えません。
ponkoturobota at 14:29|Permalink│Comments(0)
2024年02月07日
発達障害は遺伝するのか?
発達障害が遺伝するかどうか、実際は解りません。
しかし私の場合は間違いなく母方からの遺伝です。
母方の祖父が間違いなく発達障害でした。
コミュニケーションが苦手で、ほとんど話した記憶がありません。
祖母と話しているところを見たこともありません。
いつも仏頂面で新聞を読んでいる印象しかありません。
叔父(母の弟)もまた重度の発達障害でした。
叔父もコミュニケーション不全に悩んでいました。
彼に話しかけても、大抵は「ああ」「いらない」程度の短い言葉だけで
そこで話が終わってしまうのが常でした。
叔父に対して不愛想であまり良い印象を持っていませんでした。
仕事に関しては、コミュニケーション不全でも真面目でコツコツタイプの
叔父は職場ではそれなりに評価されていたようです。
しかし大学を出ていたので役職がつく=管理職になって人を
率いなければならないことが重荷だったようで、昇進の話があるたびに
仕事を辞めていました。結果、数年ごとに職を転々としていたようです。
叔母(母の妹)は軽度の発達障害でした。
女性はコミュニケーション面ではさほど問題は出ない傾向があるようです。
実際叔母は感情的で良く喋る人だったように記憶しています。
しかし独特の拘りや人の気持ちが解らない言動や行動などが多々あり、
親しい友達ができたことがなかったそうです。
では母も発達障害だったのか?といえばこれは違いました。
母はむしろコミュニケーション強者でした。
どこにいっても、誰とでもすぐに友達になれる人、それが母でした。
いつも皆の輪の中心にいる華のある人物だったのです。
私の家族は、父、母、私、弟二人です。
その中で母の特質をもっとも強く受け継いだのが末の弟でした。
弟もコミュニケーション強者で、誰とでも友達になれるタイプです。
ひっきりなしに友達から電話がかかってくるような人間でした。
すぐ下の弟は一般的なコミュニケーション能力を持っていました。
それなりに友達もいるタイプで、家に幾度も友達を連れてきていました。
父も同様に極々普通の人間でした。
やや偏屈で亭主関白タイプではあったものの、仕事もでき、
友人もそれなりにいたようです。
悲しいことに家族の中で私だけが発達障害だったのです。
しかし私の場合は間違いなく母方からの遺伝です。
母方の祖父が間違いなく発達障害でした。
コミュニケーションが苦手で、ほとんど話した記憶がありません。
祖母と話しているところを見たこともありません。
いつも仏頂面で新聞を読んでいる印象しかありません。
叔父(母の弟)もまた重度の発達障害でした。
叔父もコミュニケーション不全に悩んでいました。
彼に話しかけても、大抵は「ああ」「いらない」程度の短い言葉だけで
そこで話が終わってしまうのが常でした。
叔父に対して不愛想であまり良い印象を持っていませんでした。
仕事に関しては、コミュニケーション不全でも真面目でコツコツタイプの
叔父は職場ではそれなりに評価されていたようです。
しかし大学を出ていたので役職がつく=管理職になって人を
率いなければならないことが重荷だったようで、昇進の話があるたびに
仕事を辞めていました。結果、数年ごとに職を転々としていたようです。
叔母(母の妹)は軽度の発達障害でした。
女性はコミュニケーション面ではさほど問題は出ない傾向があるようです。
実際叔母は感情的で良く喋る人だったように記憶しています。
しかし独特の拘りや人の気持ちが解らない言動や行動などが多々あり、
親しい友達ができたことがなかったそうです。
では母も発達障害だったのか?といえばこれは違いました。
母はむしろコミュニケーション強者でした。
どこにいっても、誰とでもすぐに友達になれる人、それが母でした。
いつも皆の輪の中心にいる華のある人物だったのです。
私の家族は、父、母、私、弟二人です。
その中で母の特質をもっとも強く受け継いだのが末の弟でした。
弟もコミュニケーション強者で、誰とでも友達になれるタイプです。
ひっきりなしに友達から電話がかかってくるような人間でした。
すぐ下の弟は一般的なコミュニケーション能力を持っていました。
それなりに友達もいるタイプで、家に幾度も友達を連れてきていました。
父も同様に極々普通の人間でした。
やや偏屈で亭主関白タイプではあったものの、仕事もでき、
友人もそれなりにいたようです。
悲しいことに家族の中で私だけが発達障害だったのです。
ponkoturobota at 09:41|Permalink│Comments(0)